やれなかった やらなかった どっちかな
私は、仕事にしても趣味にしても、気に入ればすぐに動いて全力で没頭するので、なにごともフットワークが軽いアクティブなタイプだと思われがちなのですが、実は結構人見知りで警戒心が強いので、こと「ひと」と関わることについては、実に腰が重かったりします。
願わくば一人でもくもくと作品を創り上げる、職人になりたいと思ったことすらあります。完璧主義も手伝って、何をしても他と比べ、自分にはまだ足りない、まだ早い、とできない理由をみつけて、同じところに踏みとどまっていました。
好きなことには没頭するので、好きなことの知識や技術を学ぶことは大好き。でも「ひと」には苦手感があるので、「ひと」に対してそれを生かすことができない。すなわちインプットばかりでアウトプットがない。たとえば占星術も学ぶだけ学んで知識はあるけれど、いざ自分以外の鑑定を行うとなると、お決まりの「未熟な私には人の鑑定などできない」「まだ早い」といつまでも動かなかった時期がありました。
動き出したいという想いはあっても、いつまでも自信がもてずに動けない。
そんな経験は、私に限らずだれでも一度はあるのではないでしょうか。
自信がないから動けない。
↓
自信をつけるために学ぶ。
↓
実践したことがないからいつまでも自信がもてない。
↓
自信がないから動けない…
のループにはまってしまうんですね。
こうなるとインプットばかりのループで脳肥満状態になってしまいます。
やれない理由できない理由
「できない理由」系の名言は多々ありますが、私はまっさきに浮かんだのは、相田みつをのこれですね。
やれなかった やらなかった どっちかな
シンプルな言葉ですが、グサッとくる問いかけです。
「やれなかった」ということばには、「本当はやりたかった」という想いが感じられます。
対して、「やらなかった」ということばには「最初からなにもやらなかった」「やろうとも思っていなかった」という感じがあります。
成功する人としない人の違いは「やった」か「やらないか」ということです。どんなに才能があってもなにも実行しなければなにを生かすことも生み出すこともできません。宝くじも買わないと当たらないのと同じです。
別の角度からみると、「やれなかった」には、「やろうと思ったけどできなかった」という言い訳のようなニュアンスが感じられ、「やらなかった」には、「やらない」という意志が感じられます。
どちらが良いとか悪いではないんですね。
やれなかった理由、やらななかった理由を別の視点から見てみると違った側面が見えてきます。
視点を変えて動いてみる
以前の投稿でも触れた、スタンフォード大学ライフデザイン講座の考え方をまた引用してしまいますが、こうした「行き詰まり思考」には、やはり視点の転換が重要ですね。
私の場合は、
独学で学んできただけの実績のない私に、ひとの鑑定なんてできるわけがない
これだけ学んできたのだから、相談者に寄り添う心さえあれば大丈夫
と転換することで、スッと動き出すことができました。
一度動き出すと不思議なもので、どんどんカタチになりどんどん相談依頼も来るようになりました。そして、その相談を受けこなしていくことでそれが実績となり、自信につながりました。
まずは動いてみることが大切ですが、踏みとどまりのループにはまってしまった場合は、まず何を自分が問題にしているのかを書き出し、それを別の角度から考え見ることから始めてみましょう。
そうやって視点を変えてみることで動くことができ、動くことでそれを実績に変えていくことができるのです。
時には巻き込まれて流れに乗る
それでも、どうしても視点を変えることができなかったり、動くにしてもどう動いていいかわからないときもあるでしょう。
そんなときこそ、「ひと」に巻き込まれてみることも大切です。
巻き込まれるというとナーバスなイメージがあるかもしれませんが、多くの実例に触れる、先に「動いたひと」を見て、その勢いに乗る、流れに乗ってしまう。そうすることで、強制的に別の視点からの転換を余儀なくされるわけです。
「ひと」に苦手感があった私には、多くの人が集まるコミュニティも正直抵抗感がありました。が、ひとたび飛び込んでみると、独学では得ることのできなかった感覚的な学びがありました。本を読んだりして得る知識による理解ではなく、ふっと腑に落ちる感覚的な理解です。
実践すること、アウトプットすることでどんどん成長していく仲間たちを目の当たりにすることで「できるはずがない」「やりたくない」という想いから「自分にはなにができるだろう?」「やってみたい」と変換され、行動や実践につながっていくんですね。
やれない理由を別の視点から考え、転換してみると、やれないはずがないと気づくこともあるかもしれませんよ!
知宙